木工の神賀の技術

ホーム >木工の神賀の技術

はじめに…

神賀勇次郎氏により、戦前戦後工業用の木製滑車・プーリーを製造販売。日立製作所はじめ関連工場や機械メーカーに納めていました。
滑車等は上質で硬い桜材が使われていました。

戦後、滑車が鋳鉄製に変わっていくのに合わせ、2台目神賀忠吾氏は桜材の堅牢さと肌合の良さを生かし幼児用木製遊具の製造を始めました。
数学教師を志していた忠吾氏は幼児教育の重要性を感じ数学的理論をもとに数々の大型遊具を開発し、遊具業界はもとより育児教育の世界では神賀理論として高い評価を受けています。30年に渡り銀座松屋の6階に「遊びの広場」という常設スペースを持ち作品の発表と実践の場としておりました。銀座松屋は神賀理論とマーケティングを結びつけ子供用品の理念としました。

3代目典行氏は両親の介護を機に健康器具・リハビリ一機具に関心を深め、その開発を始めたところです。幼児遊具で培った緻密で安全でぬくもりのある伝統と経験を裏づけされた職人の技が産み出す機具は多くの人々に愛されるものと確信しております。

フェルマーの大定理

神賀さんが作成しているのは『木製保育遊具』。一言で言ってしまえば、木のぬくもりを大切にした乳幼児用のおもちゃである。 しかし、このおもちゃ、とてもではないが一言で言い表せるものではない。それがこの商品の素晴らしいところなのだが、逆に言えば書き手にとってこれほど恐ろしいものもない。 神賀さんにとって、この遊具は「子供がどうやって楽しむか、どうしたら自然に遊具を使えるようになるか」という理論から派生して作られている。『まず理論ありき』なのである。 実際に神賀さんの自宅に行くと、これらの書物が山積みされている。そして、それらを理解している神賀さんの話は理解していない私にとってとても難しく感じる。本当に理解できる人が日本中で何人いることだろう。

子供は遊びの天才

例えば、それが『花』であった場合、茎があり、花びらがあり、根があるといったように様々なパーツで構成されている。「それを分解して何かを創ろうとすると、いくつもの可能性が生じてくる。それが基本です」

例えば、棒状の遊具はネジになっており、両端に別のパーツを取り付けられているようになっている。最初これを手にした子供は、つけることは出来ても外すことが出来ない。しかし、逆側をつけてりして遊んでいるうちに外すことが出来るようになる。「偶然で覚えたことでも、それが学習となり、次からはちゃんと取り付け、取り外しが出来るようになっているんですよ。」最初にただの直線に過ぎなかったものから、数限りない形が出来上がってくる。創造性豊かなものがゆっくりと、しかしそれは確実に完成する。
タガ回しにしても、わざと回りづらくしてある。どうしたら転がせるようになるか。考える力を養いながら、工夫して子供がどんどん成長していく。
「私はこどもにああしろ、こうしろと強制はしません。何故って、自然に覚えていきますからね」