戦後、滑車が鋳鉄製に変わっていくのに合わせ、2代目神賀忠吾氏は桜材の堅牢さと肌合の良さを生かし幼児用木製遊具の製造を始めました。
数学教師を志していた忠吾氏は幼児教育の重要性を感じ数学的理論をもとに数々の大型遊具を開発し、遊具業界はもとより育児教育の世界では神賀理論として高い評価を受けています。30年に渡り銀座松屋の6階に「遊びの広場」という常設スペースを持ち作品の発表と実践の場としておりました。
銀座松屋は神賀理論とマーケティングを結びつけ子供用品の理念としました。
3代目行典氏は両親の介護を機に健康器具・リハビリ一機具に関心を深め、その開発を始めたところです。幼児遊具で培った緻密で安全でぬくもりのある伝統と経験を裏づけされた職人の技が産み出す器具は多くの人々に愛されるものと確信しております。